"高校までの"数学と"大学以降の"数学みたいな言説についてのお気持ち的な何か

人はふとした時に怪文書を書きたくなるわけで, 今はそういう気分なのでちょっと考えてたことの備忘録も兼ねてちょっとしたことを書こうと思います. なお以下の文章は大学以降の数学でも専攻する分野や個々人によって考え方が違うと思うのであくまで僕の意見ということは前もって強調しておきます.

この前, とある同期から聞いた話とそれに関するあるFFの方の素朴な疑問がこの文章を書こうと思ったきっかけなので, まずはそれについて紹介します.

少なくとも学部入試までの数学は非常によく出来る集団が全単射の合成が全単射であることを示せない. 一体学部入試は何の能力を問うているのだろうか?

 

この問には色々な答え方があって, 例えば一例としてそもそも学部入試で問われる能力ってそういう定義に立ち返ってコツコツ示すみたいな能力ではないというのが1番はじめに考えられると思います. つまり別にそういう能力で選抜してないわけだしそんなのは自明な現象だろみたいな意見ですね.

まあそもそもある程度の規模の国立大学は大抵の場合, 数学科だけの一般入試なんて存在しなくて(何なら理学部だけの一般入試すら存在しないことが多い)そういう大学以降の数学では基本的な御作法(定義通りやる)みたいな能力を測る問題は, あくまでも使えればオッケー的な立場で数学を用いることになる(事が多いという偏見の元ですが)多くの他の理系学科も受ける試験ではそれほど優先度が高くないからそういう問題が出題されないこと自体は自然な現象だと思ってます.

そこで, そういう現状は1度甘んじて受け入れるとしてじゃあ一体何が"高校までの"数学と"大学以降の"数学的な違いを産んでるのか少し考えてみました.

(こんな文章を書いておいてあれなんですけど僕はあんまりこの手の違いを意識したことはないです. だからこそ考えたことをまとめるためにこういう備忘録を残しているという節がある.)

 

例えば一例として行列の積に関する結合律に関する話題を考えます.

学部1年の線形代数において以下の主張は多分誰しも勉強することになると思います.

以下では行列は適当な体K(体が分からなければ例えばKは実数全体に普通の四則演算を入れたものと思ってください.)上の物とします.

面倒なのでA, B, Cはすべてn次正方行列とします.

この時, 通常の行列の積に関して(AB)C=A(BC)が成り立つ.

例えばこの主張は行列の積を具体的に成分を用いて定義し, 後は行列が等しいとは各成分が等しいことであると知ってさえいれば大学入試までの数学がよく出来る学生なら多少の時間はかかったとしても証明可能だと思います.  ただこの主張は

写像の結合律

② 線形写像の表現行列の定義, また線形写像の合成と行列の積は表現行列を取る操作と整合的に振る舞う

という事実を先に導入すればほとんど計算することなく証明することができるかつより柔軟な立場からこの事実を眺めることが出来るようになりますよね. (証明自体は本筋からズレるのでここでは触れません. 表現行列等を学習した方ならちょっとした演習問題になると思うので考えてみると良いかもしれません.)

ただこの方法(特に②)には1つ大きな課題があります.  学部入試までの数学にはこのような考え方, つまり前もって抽象論によるフレームワークを用意してそれの適当な場合であると問題を解釈することで比較的煩雑な計算処理(ここでは行列の積を2回取ること)を避けて, 考えている問題の非自明さをそのフレームワーク内に押しつけてしまうという考え方はあまり出てきませんでした. (勿論程度の問題ではあって, ここまでフレームワークそのものが大規模になることはあまり無かったという主張です. )

これは近代数学から現代数学へのパラダイム・シフトの際に生じた基本的な考え方で(と個人的には思っていて)人間の(計算機的な観点における)処理能力を解きたい問題を解くのに必要な処理能力が大幅に上回ってしまった事から産まれた考え方だと思います. (ちなみにこれは高校数学的な処理能力の必要性を否定しているわけではないです. なんやかんや腕力は正義!という側面は大学以降でも多々あると思います. あくまでわかりやすい対比構造の為にそういう側面を強調しているだけです.)

しかしながら学部入試までで問われる問題は基本的にはそのような考え方を要することはないです.(そんな問題はあの短い時間制限では現実的ではない.)

要約すると以下のようになります.

・学部入試まで

ある程度の定義の乱暴さや不十分さに目をつむりながら課された問題を時間内に如何にして解くか?(例えば最近Twitterで話題になってる因数分解とかもそもそも因数分解とは何か?本当にこれ以上分解できない証明とかしなくていいのか?とかそういう事に目をつむりとにかく出された問題を解いてそれが模範解答と合致したら次の問題, 以下その繰返しみたいな感じで勉強される事が多いと思います.)

 

・大学での数学の講義

1つのわかりやすい結果にたどり着くまでのフレームワークの構築の長さ, 地道な定義の積み重ねとそれが破綻していないことを確認する(無味乾燥と思われがちな)作業の連続. 論理を整理しつつ, 必要に応じて再構築出来るような形での理解の必要性

 

こうしてみると, やっぱりある程度の移行期間を上手く設ける必要が大学初年次教育では必要だろうなぁという気分になりました. たまたま僕はこの大学数学の考え方に自然に馴染むことができたので数学が好きになったのですが, 東工大時代の周りの人間はこういう講義がめちゃくちゃ嫌だったみたいな事を言ってる人が多かったので運が良かっただけだなぁと最近改めて思います.

 

ここまで読んでくれた方(いるか分からないけど.)ありがとうございました.

 

余談

将来的に生成AI的な物が完全に自力で1から数学を出来るようになった時, それらはどのような数学を展開するのでしょうか?

具体的な問題を上で述べたように, 適切な抽象化を通じて解こうとするのでしょうか?現在人類が長い時間を経て到達した1つの数学はどれくらい”普遍的”なものなのか?みたいな事を知れたら面白いな〜みたいな妄想があるので, いつかそういう時代(別にAIに限らず人間とは認知機構が異なる知性により定式化された数学概念を比較検討できる時代)が訪れると面白いですね. 

勿論それらが人間が読める形で数学をしてくれるかどうかという問題がありますけど.